時間の捉え方
時はよく用いるものには親切である。
ショーペンハウアー
時間とは不思議な存在だ。
時計を見れば今の時間がわかるし、仕事も生活も、逆算して段取りをするなど、確かに時間ありきで予定を組み立てることが当たり前の日常であるように思う。時間を守ることは、社会人としての大切な資質の一つであるし、仕事で納期を守ることは、最優先事項と言っても大げさではないのかもしれない。
私自身、パソコン仕事をフリーランスで行う身、早く正確に進められる方法を試行錯誤しながら、もっとより良い方法はないかと、新しい技術や方法を探しながら、気づいてみたら瞬く間に時間が過ぎしまっているということもあり、体感的に時間には伸び縮みがあるようにも感じている。
安請合いで受けた仕事が、思いのほか手間取ってしまうこともある。プログラムが思い通りに動かない理由を調べながら、トライアンドエラーを繰り返しながらなんとか解決する。一見、その一回の時間換算では割に合わない仕事のように感じられるかもしれないが、その時間や経験は無駄ではなく、他の機会にそのスキルが活きてくることはよくあることだ。むしろ、その繰り返しで今がある。何事も最初は時間がかかってしまうのは当然で、時間という物差しだけで価値は測れない。
時間軸を短いスパンで判断しようとすると、損得勘定のような意識にフォーカスしやすいように思う。きっと長いスパンで状況や物事を見たら、無駄なことなんて何一つなく、必要な経験を今しているに過ぎないのではないだろうか。
自分自身の日常の中の「時間」の流れがある一方、暦という意味での「時」の流れもある。
春分の日から新月を迎えた今日、月と太陽が重なり太陽の陰に隠れた月はその光をすべて失うが、満ち欠けという周期の終わりでもあり、ここから新たな光の周期の始まりでもある。宇宙の大きな「時」の流れに身を任せ、宇宙の一部であることに思いを馳せて、高い視座から物事を見てみたら、ゆったりとした気持ちで「今在る」ことを全肯定できるような気がする。宇宙視点の「時」を味方につけて、かけがえのない今日という日を過ごせることに感謝を込めて。