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ただ在ることが尊い

鑑(かがみ)はくもらざれば、即ちおのずから明らかなり

洪自誠

「鏡はなにか曇らせるものが無ければ、おのずと澄み切っているものである」という内容だ。

過去にはなぜか、何者かにならなければという呪縛とも言える思い込みに振り回され、ただ在るだけでは満たされない焦りのような気持ちを抱えてしまい、自作自演で苦しんだ時期もあったように思う。

考え方というか思考の入口として、ただ在ること自体が素晴らしく尊いと、自身を全肯定できたのなら、曇る余地もなく、私達は誰しもが、そもそも澄み切った存在なのだろう。

今在ることに奇跡を感じられたのなら、自ずと感謝の気持ちが溢れてくるのではないかと思う。
その心境にあるだけで何者にもなる必要もなく、ただ今在ることが有り難く、結果として、澄み切った穏やかな心持ちで存在できるのではないかと思う。
そして、その心境で存在しているだけで、それだけで十分に他の誰かに貢献している、私達は機嫌良くただ在るだけでお互い様に貢献し合っている存在なのだと思う。

閑話休題。

子供の頃はご先祖様を祀る祖父母の家にお盆やお正月は家族で帰省していたが、地方都市の新興住宅地に核家族で住む生育環境で育った私は、大人になってもご先祖様という意識が薄かった。

四十代になったばかりの頃、たまたま友人に誘われ、陶彩画の草場一壽さんの個展に訪れた。
神々しく美しい作品達に圧倒された後、ギャラリーショップにて草場一壽 著書『いのちのまつり』という絵本を購入して帰宅した。

絵本の仕掛けで見開きいっぱいに描かれた可愛いイラストのご先祖様の数に衝撃を受け、このご先祖様一人でもいなかったら、自分が存在しなかったという事実にまさに目から鱗が落ちた瞬間だった。

自身が存在していることがとてつもない奇跡であることに、純粋に感動した。自身のルーツに四十代になるまで無自覚に生きてきていたことに愕然とし、それからは自然とご先祖様へ想いを馳せる機会が日常的になった。
それは即ち、存在していることが奇跡であるという事実に気づいたということでもあり、今在ることに感謝を感じ、自身を在るがままに受け入れられる一歩になったように感じている。

昨年末に尊敬する父が魂の存在に還り、改めて、自身が日々幸福を感じながら暮らせているということ、両親やご先祖様のお陰様で今存在しているということに、心からの感謝を込めて。

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