自己評価と他者評価
自分軸で暮らしを積み重ねるようになって久しい。
というのも、気が小さくて気にする性分だったので、外に意識が向くと、誰かに何かを言われたわけではなくても、勝手に手足を縛られるというか、精神衛生上しんどかった。
暮らしにフォーカスすると、他者評価の入る余地がなく、自分自身の居心地の良さだけでシンプルに心地良かったのだ。そして、繰り返される「暮らし」衣食住、日々の営みは自己評価、自己満足だけで成立できる。
自分にとっての心地良い選択、丁寧に暮らすことを心掛けて、一日一日を積み重ねている間に、少しずつ、いつの間にか、ささやかな満足感が蓄積されて、自信というのか、自己肯定感が上がっていったのかもしれない。
結果、対外的にも他者評価がそれほど気にならなくなったように思う。たとえ気になることがあったとしても、日々続く暮らしの中で、自分軸に戻ることができていたように思う。今思えば、切り替えというか、リズム、ルーティンというようなものを暮らしの中で得ることができていたのかもしれない。
少し前に、久しぶりに他者評価に振り回され、しんどい思いをした。
近年は、自身の意識の中で、プロセスの方を重要視し、結果には執着しないでいられるようになってきた。そのためには、自分の中で納得がいくまで最善を尽くす必要がある。最善を尽くした後は、意識から手放す。そんなことが、以前よりはできるようになった気がする。そして、最善を尽くすことは気持ちの良いことだと知った。
結果が自分の思うようにいかなくても、あるがままに、それも必要な結果、何か意味がある、と、どんな結果も受け入れられるようになってきて、執着心から解放されてきていた。けれど、久しぶりに他者評価を気にして、振り回されている自分自身に戸惑った。もっと気楽に、執着を手放して、「すべては完璧」と自分を信じてゆったり構えていればいいのだ。そして、改めて冒頭の「自分軸の暮らし」の重要性を再認識した。
日々、今日が最後の日でも悔いがないようにと過ごしてきたつもりだった。実際にとても穏やかな心境で、怒ったり、悔しがったり、大きな感情的な波がないことを「老成している」という表現をされることもあった。それでも、人生はまだまだ途中。久しぶりに感情的な大きな波を体感して、渦中はしんどかったけれど、一喜一憂できる、そういう状態にある今の自分自身もやっぱり幸せだな、と。
同じ瞬間の空でも左右で全く違う印象の冒頭の写真、今日の空のように。どちら側からどこを見るか、結局は解釈次第なのだと、今日という奇跡に感謝を込めて。
